コラムColumn

尾瀬のチップ制トイレで考える、きれいな空気と水を守るために私たちができること

2023.07.07エッセイ

50歳になって始めた趣味がいくつかある。娘たちが大学および専門学校を卒業したことで金銭的にも気持ち的にも余裕が出てきたのと、同世代の友人・知人、仕事上でつながりのある人が相次いで亡くなったり大病したりしているのを見聞きしたとき、自分の人生もとっくに折り返し地点を過ぎて残り少ないことに気づき、「体が動くうちにいろいろなことに挑戦してみよう」と思ったからだ。

新たに始めたのはゴルフ、サバイバルゲーム、リターンしたのがバンド活動、バイク、キャンプ。これらの話はいずれするとして、もう一つ、新たに始めたことがある。軽登山だ。趣味らしい趣味がなく、自分からは何がしたい、どこに行きたいと滅多に言わない妻が珍しく「山に登りたい」と呟いたのが発端だった。

結婚する前、2人で北アルプスの乗鞍岳に登ったことがある。3000m級でありながら軽装で登れる入門的な山なのだが、当時はジーパンにスニーカーという山を舐めきった格好で登ってしまった。そんな格好だったので入門編といえどもちょっと大変だったが、その苦労もあってか、3000m級の山頂から見る景色は例えようがないほど美しく、壮大だった。妻もその思い出が強烈に残っているのだろう、どちらかというとインドア派の彼女が、登山というアクティブな趣味に挑戦したいと言い出したのだ。

「マイカー規制」は不便だけど自然を守るためには必要不可欠

ならば、今回は金にものを言わせて、ちゃんとした装備を揃えることにした。なにしろ歳をとるといろいろと体の自由がきかなくなるから、装備は大切だ。シューズ、ザック、レインウエアの登山三種の神器をはじめ、体と目的に合った高機能ギアを買い揃えた。

準備が整ったことで、思い出の乗鞍岳にもう一度登ってみようかと調べてみたら、当時は2700m付近の登山口まで自分の車で行けたけど、現在は自然保護の観点からマイカー規制が行われており、麓の駐車場からシャトルバスを利用して登山口まで行く方式になっていることを知った。


今から30年以上も前、まだ20代の頃に行った乗鞍岳。当時は乗鞍スカイラインを通って2700mにある駐車場まで自家用車で行けた


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マイカー規制と言えば、乗鞍岳の近くにある上高地が有名だ。排気ガスを撒き散らす自家用車の通行を規制することで、大正池や明神池が代表するあの美しい景観が保たれている。私たちが乗鞍岳に行った当時も既に上高地ではマイカー規制が行われていた。不便だなとは感じたものの、この規制があるからこそ我々は上高地の美しい景色と澄んだ空気を楽しむことができていると思えば、これは絶対に必要なことだと納得したものだ。

大学卒業の際にバックパックで行ったスイスのマッターホルンの麓の町、ツェルマットも町全体がエンジン車を規制しており、公共交通機関は電気自動車と馬車というユニークな仕組みに驚いたものだ。ゴルナー氷河はじめとする豊かな自然を守るため、1980年代後半に住民全体の総意としてエンジン車の乗り入れを拒否したという。生活の利便性よりも自然を守ることを選んだのだ。その結果、人口5700人の小さな町でありながら、年間170万泊以上の滞在者を受け入れる観光都市としての地位を築くことができたのである。


ツェルマットからロープウエイで簡単に登ることができるクラインマッターホルンから望む氷河。この大自然を守るために、ツェルマットの町の人々は利便性よりもエンジンカー規制を選んだ


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天空の楽園は埼玉から約4時間の標高1400mに存在した

話を登山に戻して、軽登山を始めるにあたり、いつかは挑戦してみたいと思っている山がいくつかあるのだが、その中でも憧れが強かったのが尾瀬。写真や映像で見るあの壮大な景色、美しい花々をこの目で見たいと思っていた。しかし、尾瀬は登山口が複数あり、全てのルートでマイカー規制が行われているため、どういうルート、どういったスケジュールで行けばよいのかがさっぱり分からない。

どうしたものかと悩んでいたところに、仕事がらみでつながりがある知人が毎年2〜3回尾瀬に行っていることを知った。尾瀬フリークである。そんな便利、いや、都合のよい、いやいや、素晴らしい先輩がいるのなら乗っからせてもらおうと、「自分も連れていってくれ」としつこく、かなりしつこく頼み込んでみたところ快く応じてくれて、昨年9月と今年5月、立て続けに2回の尾瀬行が実現した。

先に述べた通り、尾瀬はマイカー規制を実施している。我々が使ったルートは、まず上越新幹線で上毛高原駅まで行き、駅からは路線バスに乗って戸倉まで、そこで専用のシャトルバスに乗り換えて尾瀬の入り口、鳩待峠まで行くという行程。鳩待峠からは長い木階段を下り、1時間ほど歩くと尾瀬ヶ原の入り口、山ノ鼻に到着する。ここから、写真や映像でよく見る大湿原、尾瀬ヶ原が広がる。

昨年9月に訪れた時、湿原は夏から秋へとうつろう様を見せてくれた。草紅葉の主役であるキンコウカが黄色みを帯び、ヒツジグザの色も抜け始める。秋晴れの真っ青な空の下、池塘に映る逆さ燧ヶ岳の姿。ヒツジグサの小さい花が池塘からのぞく様も可愛らしい。春のミズバショウ、夏のニッコウキスゲのような派手さはないものの、ミヤマアキノキリンソウやリンドウといった秋の花々が我々をひっそりと迎えてくれる。楽園は、私が住んでいる埼玉から約4時間、標高1400mにあったのだ。意外に近い(笑)


キンコウカの葉が緑から黄色へと変化し始め、秋の気配を漂わせる尾瀬ヶ原。どこまでも伸びる木道が、まるで天国へと続く道のようだ


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池塘に映る青空と白い雲、逆さ燧ヶ岳の姿。天国はここにあった


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そして今年5月下旬に再度、尾瀬行を決意。目当ては、もちろんミズバショウ。今年は雪解けが早く、ミズバショウの開花ピークも早まると見られたが、我々が行った時がちょうどピークだった。霜焼けにより白い仏炎苞(花ではなく葉が変化したもの)の先が茶色く変色したものが多かったが、あちらこちらで群生しているミズバショウをたくさん見られたのは幸運だったと言える。

有名な歌が引き起こした尾瀬破壊の歴史

尾瀬は新潟県・福島県・群馬県の3県にまたがり、東西6km・南北2kmの本州最大の湿地「尾瀬ヶ原」を有する国立公園。標高は1400m。900種類を超える高山植物の生育が確認されており、ラムサール条約湿地、特別天然記念物にも指定されている。

尾瀬と言えば童謡「夏の思い出」。『夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空』のあの歌だ。昭和24年に発表されたこの曲は、戦後の復興期に生きる人々の心をつかみ、大ヒット曲となる。昭和37年にNHKの『みんなのうた』で紹介されると、交通網の発展もあり、大勢の人が尾瀬に訪れる第一次尾瀬ブームが巻き起こる。


早朝の尾瀬は深い霧に包まれ、幻想的な雰囲気を醸し出す。「霧の中に浮かび来る やさしい影 野の小道」と歌われた景色がまさに目の前にある。この景色を求めて、昭和30年代後半に大勢の人が尾瀬に押し寄せた


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この結果、尾瀬の自然は大打撃を受けることになる。当時はまだ木道が完備されておらず、尾瀬ヶ原の中は自由に歩き放題だった。一部、木道はあったが、そこでさえも木道を外れて自由に歩き回るハイカーが大勢いた。湿原は踏み固められ、草花は引っこ抜かれ、ゴミは散らかり、公衆トイレが整備されていなかったので、あちこちで糞尿を垂れ流す人たちも出てくる始末。何千年という長い時間をかけて作られた雄大な自然が、人間の手によってたった数年で破壊されていく。自然を満喫しに行っているはずなのに、その人たちの手によって自然が破壊される。なんという矛盾、なんという身勝手。

上高地が昭和50年にいち早くマイカー規制に踏み切ったのも似たような理由だ。昭和40年代は高度成長期。豊かさの象徴として「3C」がもてはやされ、その1つである車(Car)が爆発的に普及する。折からの登山ブームもあって、上高地にもたくさんの人がマイカーで訪れた。駐車場は一杯になり、上高地の中も、途中の道も慢性的に渋滞が発生、排気ガスが充満することで樹木がどんどん立ち枯れしていく。

また、駐車場に入れない車が、途中の狭い道に無理やり駐車するようになり、路肩の多くの草花が踏み荒らされて枯れていく。こうして自然破壊が進む上高地を守ろうと行政や警察、観光関係者が動き、マイカー規制が実施されたのである。当初は夏季の1カ月間のみだったが、現在は通年規制にまで拡大している。

話を尾瀬に戻そう。荒廃していく尾瀬ヶ原の自然を守ろうと立ち上がったのが東京電力だった。実は、大正時代に尾瀬の豊富な水を利用して水力発電所を作ろうという動きがあり、当時の電力会社が尾瀬の一部の土地を取得していた。結果的に水力発電が作られることはなかったが、その土地は後に東京電力に引き継がれてゆき、現在でも尾瀬国立公園の4割、特別保護地域の7割を東京電力が所有している。

尾瀬の入り口には種子落としマットを設置して下界の植物、特に外来種の侵入を防ぐ。尾瀬全体に木道を行き渡らせて歩くルートを限定し、湿原には絶対に立ち入らないよう措置。ゴミ箱を全て取り払い、自分で出したゴミは自分で持ち帰るようにしたことで、ゴミが散乱することもなくなった。ニッコウキスゲなど貴重な植物がニホンジカによって食い荒らされないよう尾瀬ヶ原全体をフェンスで囲んだり、鹿の個体数を減らす対策も行っている。

環境を守るためのたかが100円、されど100円

そしてトイレ。尾瀬には7カ所の公衆トイレがあるが、全てで浄化槽を完備し、自然の川に劣らない水質まで浄化した後に排出されている。処理後に残った汚泥は熱で乾燥させた後にヘリで下界へと運ばれるという。こうして、汚れた水によって湿原が汚染されることを防いでいるのだ。

このように、尾瀬の汚水処理にはコストがかかっていることから、公衆トイレではチップ制が取られているのだが、トイレ前でしばらく見ていると、わずか100円の協力金を払わない人が多いことに気づく。


尾瀬の公衆トイレの管理には年間1000万円がかかっているという。尾瀬ヶ原を安心してハイキングできるのだから、利用料100円は安いと言える


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東京電力は「企業の社会的責任」という観点から尾瀬の保護活動に取り組んでいるが、なんら営利にはつながっていないという。東電だけでなく、たくさんの尾瀬好き・山好きなボランティアも毎年、手弁当で自然環境の保全・復元活動に参加している。たくさんの労力と、たくさんのお金をかけて尾瀬の自然は守られており、そのおかげで我々は尾瀬の自然を楽しむことができているのである。

私は歳のせいかトイレが近く、またお腹も弱いほうなので、尾瀬ではトイレがあるたびに利用していた。トイレ利用だけで1日500円は払っただろう。2日間で1000円。尾瀬を安心して楽しむための「課金」だと思えば、決して高いとは思わない。

富士山では任意で入山料を徴収する仕組みが取られているが、尾瀬も同様の取り組みをしてもよいのではないだろうか。今の時代、緑や水、空気を守るのはタダではできない。「空気が美味しい!」「水が美味しい!」「花がきれい!」「魚が美味い!」と、我々の五感を楽しませてくれる陰には、多くの人の労力とお金が動いている。

自分たちのこどもの世代、孫の世代、その先の時代に向けて豊かな自然、澄んだ空気、きれいな水を残すために何ができるか。地球温暖化などという大テーマに取り組むことはなかなかに難しいが、せめて身の回りで起きていることに対しては、なんらかのアクションを起こしていきたい。時間的・距離的な制約があるので、ボランティアという形での労力の提供は難しい。ならば、わずかばかりでも課金をすることで、保全活動を続けるための資金の足しにしてもらえればと思う。まあ、自己満足にすぎないけど…。

Text by 近藤克己
ブルーエア空気清浄機

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フリーエディター・ライター
近藤 克己

家電流通専門誌編集長、編集プロダクションの経営を経て、フリーランスのエディター・ライターに。家電製品・家電量販店だけでなく、デジタルガジェットやアウトドアグッズなど幅広く取材・執筆・編集を行う。大手家電量販店の顧問を務めた経験も。