コラムColumn

空気のいい町でこどもと暮らすこと

2021.10.12エッセイ
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東京から葉山に移住して3年。本コラム編集のTさんから「移住について書いていただけないでしょうか」と依頼をいただいた。「都会では味わえないこどもとの時間」や「自然の中で暮らす心地良さ」について書いてほしいという。「お安い御用の御用邸!」と安請け合いをしたものの、いざパソコンに向かって困ってしまった。

紹介できる話が地味すぎて「いいですよ……空気とか……」という感じになってしまうのだ。

実際、海遊びもしなければ山登りもしないインドア派の家族にとって一番大きく変わったのは空気だった。この町は本当に空気がよく、呼吸がしやすい。それは町全体のさらりとした雰囲気にもあらわれている気がする。振り返ればこの4年間、こどもと暮らしていて息がつまる思いをしたことは一度もなかった。
特に去年からの1年間は申し訳ないほど救われたところもある。そんな地味な話について書かせてもらおう。


思いきり息を吸いこんでほしいと思って引っ越した



葉山から江ノ島を望む

*

葉山に引っ越してきたのは3年前の冬だった。
こどもはまだ抱っこひもの中にいた。

地元の不動産屋に紹介されたのは築50年の古い平屋だ。床は氷のように冷たかったが、昔ながらの大きな板ガラスが美しく、妻は「ここがいい!」と即決した。
書類を作りながら不動産屋から「なぜ葉山に?」とたずねられたときの答えは「東京の保育園探しが大変で」というものだった。それもうそではないが、正確には葉山の空気がよかったからだ。

知人もいない葉山に縁ができたのは太極拳教室がきっかけだった。こどもが生まれる数年前から一色会館という古いホールに夫婦で通い、気功と太極拳を教わっていた。

気功と太極拳に共通しているのは呼吸だ。
冷たい畳に足をつけ、腰を落とし、しっかりとした呼吸にあわせて体を動かす。派手ではないのに全身がくたくたになる有酸素運動だ。

約2時間の教室を終えた後はいつも視界がからりと澄みわたり、全身の空気が入れ替わったようなすがすがしさがあった。こどもが生まれてから教室には行かなくなってしまったが、代わりにこどもにあの空気を吸ってほしいと思うようになった。生まれたころからよく泣いていた子に、あの空気の中で思いきり大声を出してほしいと思ったのだ。

こどもは本当によく泣く子だった。

体重はつねに平均以下のやせ型で、腹を空かせた子猫のようにいつもニャアニャア泣いていた。今日は機嫌がいいなと思ってもバウンサーに入れるとすぐ泣いた。あやしつけて寝たと思ってもベビーベッドに寝かせるとすぐ泣いた。機嫌が悪いときには抱っこをしてもゆらしても、何をしても泣きつづけた。おまけに泣き声は派手だった。思いきり息を吸いこみ大泣きをした。
当時住んでいた都心のマンションで、お隣に頭を下げに行ったこともあった。寝不足でボロボロになり、「泣きたいのはこっちだよ」と苦笑しながら、夕陽が影を落とす寝室で、泣く子の背中をトントンやっていたことをよくおぼえている。

葉山に移り、こどもが大きくなって言葉をおぼえてからは、泣く代わりに延々しゃべりつづけるようになった。大泣きしていたのはそれだけ言いたいことがあったのだ。
家の中や外をあちこち歩き回っては「お父さんこっち来て!」「これ見て!」とこちらを呼んだ。うまくいかないことがあったときは相変わらずよく泣いた。古い平屋の居間で足をバタつかせ、思いきり息を吸い込んで、赤子のように大泣きをするのだ。その姿を見ていると、安心して泣いてくれているのかなと思えるところもあった。

保育園の散歩で登山をするような毎日になった



ハイキングコースを駆ける

*
葉山で暮らして驚いたのは、朝の空気が井戸水のように冷たく澄んでいることだ。

春にはウグイスやメジロのさえずりが聞こえ、しぜんと深呼吸をしたくなる。最初は思わず興奮して妻を呼び「温泉旅館に泊まったときと同じ匂いがするよ!」などと言っていた。逆にこどもは温泉旅行をしたときに「うちと同じ匂いがする」と思うのかもしれない。

澄みきった空気を作っているのは豊かな自然、具体的には海と山だ。東にあるのはゆるやかな相模湾。ゆったりと入り江状に広がる砂浜に寄せる波は静かで、入り組んだ山々から吹きおろす複雑な風がヨット乗りに喜ばれるのだという。海があるおかげで気候もおだやか。これまで暮らしてきた都心や埼玉の平地に比べれば一年を通じて過ごしやすい。この自然環境が日常になると、こどもの生活にもしぜんと海や山が入ってくる。

こどもは2歳になったくらいから保育園の散歩で海や山に行くようになった。山と言っても小高い丘くらいと思うだろうが、普通の登山道である。こどもの散歩に同伴できる「親子遠足」というイベントで登ったのは三浦半島有数のハイキングコースだった。大人たちが肩で息をしている中、こどもたちはやすやすと坂を登りきり、切り株で電車ごっこをして遊んでいた。道中すれ違う登山客が目を丸くして「あら!すごいねえ」と声をかけたときにはまるで自分がほめられたように誇らしく思ったものだ。山を降りるときは急斜面にお尻をついてずりずりすべり降りていて、こどものレギンスがすぐすり切れてしまう理由もよくわかった。海なら海でこどもたちはゴツゴツした岸壁によじ登り、波打ち際を駆けまわってはアオウミウシやカニをつついているのだという。かなわない。

自然の中で暮らすうち、こどもの肌は浅黒くなり、体つきはたくましくなった。とりわけ足腰が強くなり、2歳のころにはまったく転ばなくなった。体力もつき、季節の変わり目にもほとんど風邪をひかなくなった。日ごろ枝で木を叩いたり石をぶつけて割ったりしていることで攻撃的になったときにも力加減というものがわかってきた、ような気がする。

一方、こう言うと意外な顔をされるが、休日に海や山で遊ぶことはあまりない。

引っ越したばかりのときはこどもを連れて海まで行ったが、最近はせいぜい庭のプールにしか入っていない。野鳥や虫を探しに野山を歩いたこともあったが、このごろ、こどもは虫より恐竜映画に夢中である。考えてみれば保育園でさんざん外遊びをしているわけで、休みくらい家でのんびりしたいという気持ちはわからんでもない。私も妻もインドア派なので一緒にポップコーンをつまんで恐竜映画を楽しんでいる。海遊びが好きな友人は「なんともったいない」という顔をしていたが、実際のところそんなもんである。仕事が早めに終わったときに浜まで歩き、夕陽をながめ、犬の散歩をさせている人たちを遠目にビールを開ける、このごろ海との付き合いはそれくらいになっている。

そんなインドア派の家族でも、自然という選択肢があるとないではまったく違う。特にありがたみを実感したのは去年の春から夏だ。保育園の登園自粛要請が出されたとき、体力を持て余したこどもを遊ばせる先がいくらでもあることは本当に救われた。



好きなおもちゃとピクニック

*

海や山にはほとんど人がおらず、密になるほうが難しい。

仕事を休んだ日にはこどもと二人、海辺でクロダイの稚魚を捕まえたり、流木に石を並べてお店屋さんごっこをした。おにぎりをリュックに入れて山に登り、好きなおもちゃとピクニックをした。庭先でもよく遊んだ。花壇で工事現場ごっこをしたり、テントを出してキャンプごっこをした。シャボン玉を作り、ホースで水をまいて虹を作った。夏にはプールを出し、冬には雪だるまを作り、雨の日には長靴で水たまりを蹴散らしたりもした。

当時、公園の遊具には立入禁止の黄色いテープが巻かれ、ブランコは取りはずされていた。児童館はすべて休館になり、図書館で本を読むことさえできなくなっていた。公共の場からこどもの居場所が失われていく中、そこら中に余白のような場所があることは本当に救いになった。知り合いのママさんから「こどもを夜の公園に連れていき、こっそり遊具を使わせた」という話を聞いたとき、砂浜でのんびり工事現場遊びをしているこどもを思い、なんだか申し訳ないような気持ちにさえなった。


自分自身を見つめなおすようになった

いいことばかり書いてきたが、開発されていないがゆえの不便さはある。

何よりもまず葉山には電車が通っていない。JR逗子駅からバスで15〜20分だ。昨年、京急・新逗子駅の名が「逗子・葉山駅」に変わったとき、近所の人たちは「何が葉山だよな、線路も通ってないのに」と笑っていた。当然いわゆる駅ビルや駅前商店街もない。近所のスーパーは20時に閉まり、コンビニは徒歩20分の距離。ちょっと買い物をしたいときはクルマでモールに出るしかない。町に小児科は少なく、産婦人科はない。妻が2人目の赤ちゃんを出産したときはクルマで30分の総合病院まで通っていた。

そして自然が多いということは生き物も多い。ただでさえ古い家なので、家の中でクモやアリ、ムカデを見かけることは日常茶飯事。最近はどこから入ったのかヤモリの赤ちゃんが冷蔵庫の下から顔をのぞかせた。保育園の近くは蚊が多く、こどもと帰宅した後はムヒが欠かせない。海と山に囲まれている以上、自然災害とも隣り合わせだ。ハザードマップではほとんどのエリアが警戒区域にあたる黄色に染まる。今年7月には逗子IC付近で大きな土砂くずれがあった。改修は秋ごろまでかかるとされている。

ついでに言うと大規模開発に規制があるため大きなマンションは少なく、家を探すときの選択肢はほぼ戸建てだ。だが家を買っても資産価値は下がる一方。葉山の地価はバブル崩壊から下落基調にあり、ローン完済後に売ったとしてもおそらく購入時より目減りした土地代が戻ってくるくらいだ。将来的な損得を考えれば、埼玉か武蔵小杉あたりで新築のマンションを買ったほうがいいと思う人もいるかもしれない。

逆に、大規模な開発がないことで小さな町の良さは残っている。住宅街を歩いていると、「こんなところに」と思うような場所にコーヒー焙煎所やフレンチのビストロ、セレクトショップやサロンが顔をのぞかせる。かと思えば、潮風で看板がさびついているような古い八百屋で、おばあさんが自家製の煮付けを売っていたりする。特に御用邸の辺りはそうした古い店と新しい店がぽつぽつ並び、さらりとして居心地の良い独特の雰囲気を作り出している。

隣近所にもこの居心地の良さがある。顔を見合わせばあいさつはするが、濃密な人間関係を持つわけではなく、つかず離れずの距離感が保たれている。新たに移住してきた人たちと昔から住んでいる人たちが、モザイクのように組み合わさっていることも関係しているのだろう。こどもは近所で顔なじみになり、目が合うたびに名前を呼ばれ、手を振ってもらってもいる。人間、生きているうちにすり合わせがむずかしいことも出てくるだろうが、いまは素朴に、親戚が増えたようでうれしい。

もし葉山がリゾート地として開発されていたなら、この雰囲気はなかっただろう。葉山は葉山郡層という硬い岩盤に覆われているため、当時の技術では鉄道を通すためのトンネルが掘れなかったのだとブラタモリでは解説していた。番組を見ながら「あのとき駅を作らなかったからこそ開発の手をまぬがれたんだろうね」と妻と話した。いま三浦半島の南端はリゾート開発が進められているが、葉山はできる限りこのままの姿であってほしい。



光に満ちる一色海岸

*
そんな小さな町で暮らしてきたことで、自分自身にも変化があった。

東京に暮らしていたときは、つねに自分以外の何かであろうとしていたところがあった。東京にはすばらしいものが集まっていて、行こうとすればどこにでも行ける。ここでならきっと自分にしかできない何かができる。ここで自分を超えた何者かになるんだという、夢というより強迫観念めいたものを抱えていた。しかしこどもが生まれて葉山に来てから自分は東京という環境に逃げこんでいただけだったのではないかと思わされた。海や山は自分の自由にはならないし、クルマがなければ行動範囲はせいぜい半径1kmに限られる。ここで私はちっぽけなひとりの人間でしかない。しかしそれでいいのだと。自分が自分でしかないことを認める苦しさはあるが、そのぶんよけいなものがなくなり、目の前にある生活、そしてこどもの姿がくっきりと見えるようになった気がする。

東京から葉山に移住して3年。「ツツジが咲いているね」「今そこの枝にリスがいたよ」などと言いながら、こどもの手を引き、保育園までの道を往復する日々。地味で私的で、あらわす言葉もない空気のような幸せが、ここにはたしかに光り輝いている。

Text by 河合克三(かわい かつみ)
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ライター
河合 克三

38歳、2児の親。テレワークが極楽なインドア派編集者。海とこどもと海外ドラマに癒される日々。最近のお気に入りは「秘密の森」。チョ・スンウ似と言われたことも。