コラムColumn

釣りで育む、こどもに“命をいただく”という意味の伝え方

2021.01.06エッセイ

「はい、手を合わせて、いただきます!」

幼少のころからこどもに教えてきた食卓でのマナー。食べ物をいただく、つまり命をいただくことへの敬意を払う作法だ。誰しも動作としては身についているが、意外とその意味を理解するのは難しい。なぜそんなことを思ったかというと、趣味の「釣り」で真剣に命の意味を考えさせられたから。

海でも川でもよいが、我が家では積極的にこどもと釣りをする。基本的には「食べられる魚」を釣ることにしており、さばいて食べるのが目的だ。スーパーや鮮魚店に並ぶ魚たちもいいが、フィールドに出て自然の空気を吸い、その雄大さと危険性を肌で理解するのは、何にも変えがたい経験になる。


魚の生態を知り気候を感じ取る力が身につく


一口に釣りといっても、海釣りだけで堤防・ボート・乗り合い船・沖堤防・磯など実に多彩。ライトな堤防釣りは、竿とリールに餌を容易すれば始められるが、それだけ釣果は厳しいこともある。

どこでも糸を垂らせば魚がいるわけではなく、魚の生息環境を知り、気象条件や潮の満ち引き、「マズメ」と呼ばれる魚の食欲が高い時間帯を狙うなど、知恵と工夫を凝らして自然そのものと駆け引きをするのが釣りの醍醐味。ちなみに釣りの時間帯がたいてい朝早いのは、「朝マズメ」という魚の朝食時間に合わせているため。早起きはつらいが、釣り場へ向かうときのドキドキは大人もこども同じで、大物を釣り上げる期待感から胸がいっぱいになる。

当然、釣れなければ悔しいわけで、その理由を図鑑や雑誌を使って勉強する。こどもも真剣に魚の生態について詳しくなり、合わせて海の美しさだけでなく危険性も身を持って体感する。特に滑りやすいゴツゴツとした岩場など、一歩間違えば大怪我もの。押し寄せる波の持つエネルギーに圧倒されるし、堤防から落ちれば安易に戻ってこられないのは見てわかる。

とはいえ、こどもに恐怖を植え付けたいわけではない。海に垂らした餌に「ピクッ、ピクピクッ」と反応があったときは大興奮。フグやベラといった小物でも大喜びするし、アジやサバなら引き味もあり、立派に魚とファイトする感覚が竿に伝わる。自然の生き物の力強さを体全体で感じ取り、その生命力に驚かされるのは間違いない。


旬の魚をいただく、という意味

そんなあるとき、根魚の代表「カサゴ」を釣り上げた。普段は地面(根)に生息し、上から落ちてきた餌に食いつく獰猛なフィッシュイーターだ。小型であっても強力に引くので面白く、こどもは大騒ぎ。サイズが大きく旬の季節だったこともあり、持ち帰って食べるのが楽しみだった。

そして帰宅後に包丁を取り出し、お腹を切り開いたとき思わず「うっ」っと声が出てしまった。そう、旬の魚ということはメスであった場合、こどもがお腹にいるのだ。数百匹という稚魚が卵巣から飛び出してきたのを目にして、罪悪感に駆られたのを今も覚えている。

「旬の魚は脂が乗っていておいしい」とはよく言うが、それはつまり子孫を残すために体力をつけて脂を蓄えているから。つまり、それらを全て殺して食べる、という事実を直に理解したのである。まさに命を奪って命をいただく。「いただきます」の言葉とおりだが、実際に自らの手で命を奪う感覚は綺麗事では済まない。

これを言葉だけで説明するのは難しい。だから釣った魚は責任を持って一緒にさばき、おいしくいただくという習慣を通して、命の大切さをこどもに養ってもらいたい。それが釣りを一緒にする大きな理由だ。

親子のコミュニケーションとしても釣りは優秀で、共通の話題が増えるのはうれしいこと。大自然を通して、自らも命の循環にいることを感じ取りながら、釣り道具や狙いの魚について議論できるのも楽しみのひとつ。

そして釣果を上げた日、クーラーボックスいっぱいに積んだ魚をキッチンでさばいて料理すれば、きっと「いただきます!」という響きの持つ言葉以上の意味に気がつくはずだ。

Text by 三宅 隆

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